絶望の果てにやっと富士学院に巡り合うことができ、医学部合格に辿り着けました。富士学院に出会えたことを心から感謝しております。
T・M様(お母様) 富山大学医学部医学科一般選抜(前期日程)合格
- 合格大学富山大学医学部医学科
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娘は富士学院で一年間ご指導いただいた結果、国立一校と私立四校に合格し、最多合格賞までいただくことができました。娘は小学四年生から卓球をはじめ、中国人コーチについて一年三百六十五日、毎日五時間以上の練習をして中学三年まで続けていました。大きな大会で優勝するなど卓球ではそれなりの成果をあげていたので、卓球強豪校からの勧誘もありましたが、高校は地元の公立高校に通い卒業後は、国立大学理学部に進学しました。しかし、やはり、もう一度真剣に卓球に打ち込みたいと言って、突然二年生で大学を中退し卓球強豪大学に再入学してしまいました。その頃から丁度新型コロナの流行で、大きな大会が全て中止となってしまい、結局そのまま大学三年の就活の時期を迎えました。「自分が本気でやりたいことは何なのだろう」と悩んで、ゼミの教授に相談すると、「医学部を受験してみては」と、アドバイスされました。
そこで大学四年生からは、大手予備校で受験勉強しながらオンライン授業を受けて卒業しました。しかし、その年の受験はすべて不合格でした。大体小学二、三年の頃、漢字ドリルの読み方で「明星」を「めぼし」、「小児科」を「こじか」と書いていたような子です。兄の医学部受験で厳しさを知っており、簡単に合格できるはずはないと分かっていました。その時、末娘はすでに二十四歳。父親からは「もし後一年で合格できなかったら実家の医院の事務員になること」と、言われていました。兄は小学五年生から「卓球命」の子供でした。高校三年まで、卓球強豪校で卓球に明け暮れていました。医学部を受験すると決めてから大手予備校や個別指導の予備校にお世話になりましたが、全く歯が立たず絶望の果てにやっと富士学院に巡り合うことができ、医学部合格に辿り着けました。一年で奇跡を起こすにはもう富士学院しか考えられませんでした。どこでもいいから一つだけ合格させてください、という気持ちで面談に臨みましたが、校舎長様から「国公立コースで行きましょう」と言われ、驚きで耳を疑ってしまいました。講師の先生や教務の皆さま、調理の方々からいつも温かく見守っていただき、一日十二時間の勉強と五時間半の睡眠の日々がはじまりました。心臓血管外科医の天野篤先生が富士学院に来られ、ご講演くださったこともモチベーションを上げる良い機会になったようです。お陰様で成績は予想を遥かに超えてどんどん伸びていきました。しかし秋になると次第に食べ物が喉を通らなくなりました。そして遂に十二月に入ったある日に「もう何もしたくない」と電話がかかってきました。その声の調子を聞いてもうこれ以上は無理かもしれないと思い、すぐに帰宅させることにしました。校舎長様に電話をすると「大丈夫です。しばらくゆっくり休んでください。試験を受ければ必ず受かる状態ですから」とのことでした。娘は数日間ゆっくり眠り、飼い犬と遊んでのんびり過ごした後、また元気になって学院に帰っていきました。後日、本人によれば「こっからやってやるぞ」という気持ちになったそうです。
ほっとしたのも束の間、今度は共通テストの直後から体調が大崩れして、一つ目の私立の試験は頭がぼーっとして集中できず散々な状態でした。食事もますます喉を通らなくなり、こんなことでこれから続く私立大の試験を乗り切れるのだろうかと、暗澹たる気持ちになりました。その後、私立大の一次と二次の試験が重なってきた頃にうっかり試験会場を間違えてしまい、試験前日の夕方に気づいて急遽博多から東京へ向かい、なんとか深夜について受験に間に合ったなど信じられないようなハプニングもありました。何度もハラハラするようなことがありましたが、それでもそれら全ての大学から合格通知をいただくことができました。一年前の状況が今は夢のようです。こうして娘が人生の大逆転を果たすことができたのは、富士学院での医学部受験に特化したカリキュラムと、しっかりした入試データ分析・各大学に対する徹底した対策指導、これに尽きると思います。これからも富士学院の皆様は、こういった奇跡をいくつも生み出されることと思います。富士学院に出会えたことを心から感謝し、ますますのご発展をお祈り申し上げます。